天は人の上に人を作らず、と。
福沢諭吉さんがおっしゃっておりましたが。
その人間は。
自然の上に、自然を作ってしまっていますね。
いやいや。
世界遺産を2箇所見てきましたが。
やはりその歴史に触れるということは。
人間としての義務のような感じもします。
世界遺産の中には。
美しい自然もあるのですが。
自然に優越ってあるんですかね。。。。。。
例えば。
広い広い砂丘が世界遺産に認定されたとして。
年々、その砂丘が小さくなっているとします。
その時。
「じゃあ、あそこの海岸から砂をもらおう」とか。
「あの海岸の砂を運んできて広さを保とう」という意見が出た場合。
砂を持っていかれる砂丘よりも、世界遺産の砂丘の方が優先されるわけで。
どちらにしろ、地球上の一砂丘に過ぎないのに。
人間が決めた世界遺産という格付けのせいで。
なぜか、世界遺産の砂浜の方が大切にされるのね。
富士山も同じ。
世界遺産に認定してもらおうという運動が出ているけども。
他の山にだって、富士山と同じくらい重い歴史を持ち。
多くの生き物を抱え。
富士山と同じく、美しい自然の一員であることは誰でも知っていることよね。
人間社会でも。
この人を守るためであれば。
何万人が死んでも構わない、ということは許されるべきではないと思う。
確かに、世界遺産は美しい。
幻想的な自然や、忘れてはならない歴史。
何か、物質以上のものがそこに存在しているような気もするけれど。
それは、周りにある日常でも同じじゃないのかな???
裏に聳える山だって。
前を流れる川だって。
ちょっと歩いた所にある神社だって。
そこには、必ず歴史があり。
言葉以上の何かが存在してるんじゃないのかな?
確かに世界遺産を認定する人たちなんかは。
僕らなんかよりも、物を見る目があるんでしょうが。
人間ごときが。
自然に優越をつけてもいいものかね?
周りを見れば。
枯れた山や、削られた山。
伐採された森林に、汚れた川。
太陽をぼやけさせるほどの空気を作ってきたのは、同じ人間よね。
それだけの権利が我々にあるのかしら。
もし、世界で一番賢い犬を。
世界遺産の島と。
普通の島に連れて行った場合。
世界遺産の島では、マーキングなんかしなくなるものかね??
同じ自然の中にいるだけなんよね。
世界遺産の神社では、欲情することなんかないかね??
世界遺産をなるべくたくさん見たいと思っているけど。
それ同様に、周りにあるたくさんのものにも感謝しなければいけないと思う。
地球なんかさ。
宇宙遺産って思ってもいいくらい、奇跡の星なんよ。
僕なんかに、何かができる訳じゃないけれど。
みんな、初日の出はありがたがるくせに。
最後に沈んでいく夕日に、どれだけの人が手を合わせてる???
毎日、お天道様ありがとうって。
どれだけの人が思っているかね?
同じ太陽よ。
さてさて。
そんな今年最後のもしもしだるま相談室は。
このように、オチもなく終わらせて頂きます。
今年も大変お世話になりました。
来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
良いお年を。
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