思い出や、記憶というものは。
誰にも縛られるものでもないし。
誰かのために、封印するものでもない。
その人が歩んだ過去、
その人が体験した様々なこと。
それを誰かにどうのこうの言われる筋合いはないので。
自分が歩んだ今までの道は、大事にして下さい。
と。
ちゃんと言えたらかっこいいんだろうけどね。
僕はかなり混沌とした感情を持つ人間なので。
頭では分かっていても。
心では、苦しいほどもがいたりするんだよね。
本当に自分は弱い人間なんだなぁ、と。
つくづく思うのです。
強くなろう、とするためには。
どこかの感情を殺さないと、という発想になってしまう。
痛みを忘れるのには。
その痛みに慣れる。
ないしは、もっと痛い部分を別に作る。
そんな発想なんですよね。
痛いものは痛い。
分かっているんだから、しょうがない。
という発想に行くのにはどれくらいの時間が必要なんだろう。
執着する、という表現が一番相応しいのかもしれないけど。
なぜか1つのことしか見えなくなってしまい。
いつもいつも余裕がない。
困ったものです。
どうしたらいいものやら。
かと言って。
前みたいに、
無関心・無感情という、執着心が無い頃に戻りたい訳でもない。
意識して、そんな自分を作ろうとすれば。
いつか屈折した人間になる。
光とか、太陽とか自然とか歌とか色々。
そういったものを否定し。
自ら、暗い暗い場所に閉じこもっていく。
ポジティブもネガティブも。
周りの人間が決めるようなことであって。
自分なりのポジティブが。
周りの人間からすればネガティブに思われる。
それでもね。
屈折しなければいいと思うんだ。
僻む心だけは持ちたくないんだよ。
周りの人は、自分が持っていない笑顔を持っていて。
自分が持っていない付き合いを持っている。
心には常に太陽があって。
悪いことがあっても前向きに考えられるような人たち。
多分、人間はみんなそうありたいんじゃないかと思う。
でも、自分には持っていないから。
羨ましがっているうちに。
だんだんと僻んで。
そのうちに、それを否定するようになってしまうんじゃないかな。
僕もきっとそうなんだと思う。
今でも色んなものに対し。
妬みや僻みを持っている。
でも、そのせいで。
この先、明るくなるはずの未来が。
とてもとても暗くなるのは嫌なんだよ。
でも、今の段階では。
その妬みや僻みを感じないようするためには。
やっぱりどこか自分の感情を殺すしかないような気がする。
気にしないようにする、ためには。
そのもの自体を気にならないような存在にするしかない、と思ってしまう。
みんなどうしてるんだろう。
体の中に。
どうしようもなくなった感情をぶつける場所を作っているんでしょうか。
ゴミ箱のように。
そこに、いろんな感情を詰めているんでしょうか。
避雷針のように。
つらいことや悲しいことが。
全部そっちに落ちるようなものでもあるのでしょうか。
人間は。
固い皮膚もなければ。
鋭い歯も爪もない。
一撃で殺す毒針もなければ。
体中に外敵から守るトゲがあるわけでもない。
そのうえ。
こんな感情を持っているなんて。
本当に弱い生物なんだなぁと思います。
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